物語スペインの歴史 人物篇 -岩根圀和著

スペインの歴史を書いた本は沢山あるが、この著作はスペインの史実に名を刻む人物のある側面、出来事に焦点を当てたもの。レアル・ソシエダに興味を持ち、ギプスコア、バスクに興味を持つようになってから、スペインの歴史の本を数冊読んできたが、元々学生時代から歴史や政治、戦争にさして興味を持ってこなかった私には一人の人間を通してその者が生きた時代背景、政況を見る方が親しみやすく、割とぺらぺら読み進められた。

本作は以下の6名についての計6編から成る。

レコンキスタで大きな戦果をもたらした騎士エル・シド

②狂人と呼ばれた女王フアナ

③帝国時代の植民地支配のやり方に異を唱えた聖職者ラス・カサス

④言わずと知れた名作「ドン・キホーテラマンチャの男)」の作者、作家ミゲル・セルバンテス

アラゴン州生まれの宮廷画家ゴヤ

カタルーニャ州出身の建築家ガウディ

 

エル・シドの物語

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ブルゴス近郊、カスティージャ王国ビバールの町で生まれた彼はレコンキスタの国民的英雄と知られ、伝記ではかなりの上方修正の脚色でどこに出しても恥ずかしくない騎士道物語として仕立てられいることが書かれていた。吟遊詩人によって民間伝承的に伝わったものが本にまとめられていたようだ。彼自身は、実際は物語に描かれるような敬虔なクリスチャンでもなく、また時には騎士道精神とは相反するような、手段を選ばない残虐な行動にも打って出ていたことが綴られていた。彼ほどの戦果を挙げると「こまけえことはいいんだよ」精神の萌芽をもたらすんだろうか、、。
イベリア復興の英雄として知られているが、時のカスティージャ国王アルフォンソ6世に追放されてからは、時にはイスラム世界のモーロ人達とも手を組みつつ勢力を再拡大していったとのこと。戦いに明け暮れた人生だったことは確かなようだ。まあその時代の騎士は誰しもそうなのかもしれんが。

ただ伝記にも語られている武勇は確かなものだったようで、兵からの信頼も厚かったことが書かれている。数度の追放を経ても戦史の表舞台から姿を消さなかったのは彼の強さと求心力によるところもあるのだろう。映画観てみたいなあ、GEO行けば置いてるんかな。

 

②フアナの物語

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フアナはレコンキスタ達成時のカトリック両王・カスティージャ王女イサベル、アラゴン王子フェルナンドの間に生まれ、王家の娘として育った。彼女自身は容姿や学問の才にも恵まれ、王族の人間として立派に成長していた。政略面からハプスブルク家神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の息子フィリップと結婚した。フアナは結婚当初からフィリップを一途に愛したが、彼はベルギーフランドル地方ブリュージュ生まれの男で、金髪碧眼の女性が好み(フアナは黒髪)ということで、不倫の嵐。愛の強いフアナは怒りを周囲にぶつけ、そんな彼女を厄介に思うフィリップの構図、夫婦の心の距離はますます開いていった。フィリップは不倫したり狩猟やスポーツに出かけたりと外で楽しく過ごしていたようだ。フアナの情緒が不安定になった理由の一端として、ハプスブルク家に嫁ぎ愛する母国スペインから遠く離れていたことも挙げられていた。気の毒。夫の急死によりますます精神が不安定となった彼女は長女イサベルと長男フアンの若くしての死によりスペイン女王となってからもバジャドリード県のサンタ・クララ修道院に幽閉されていた。飯もまともに食わず風呂にも入らず皮膚は悪くなりボロボロの身で晩年を過ごし、心優しい四女カタリーナだけが心のよりどころだったようだ。

夫の死後遺体の入った棺を引きづり回したり食事や入浴もせず周囲には当たり散らかしたりと良くない面がいろいろ書かれていたが、政争の犠牲者ともとれる内容であった。とりわけフィリップはいただけない。小特集ではフアナの息子であり、西ヨーロッパに広く領土を拡大したカール5世の「顎」が当時様々風刺されていたことが特集されていて、気の毒だが可笑しかった。

 

③ラス・カサスの物語

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15~16世紀の植民地支配時代を生きた聖職者。彼自身もコロンブスの船に乗ったりと何度も「新大陸インディアス」へ渡っている。物心ついた時から残虐な植民地支配に異を唱えていたわけではなく、齢30を過ぎたころドミニコ会員の演説を聞いて奮い立ち、自らもインディアスのエンコミエンダ制への反対活動に加わった。エンコミエンダとは「委託」の意味であり、インディアスの人々にキリスト教布教を行い、彼らの心を救うということを名目に征服者にキリスト教世界の国策として強制労働使役権と貢租徴収権さらにはインディアスの集落を管理区域として与えるもの。つまりキリスト教の押し付けと、先住民にインディアスに眠る金銀の採掘や強制労働をさせる自己都合による醜悪な政策である。この物語は人生晩年に差し掛かったラス・カサスが、植民地支配肯定派の、当時を代表する哲学者セプルベダとの「バジャドリード論戦」へ臨戦の支度をする描写で始まった。描写からは彼の周到な用意と論戦への強い気概、集中力がバシバシと伝わり、とてつもない重要性をもった戦いであることが窺えた。

バジャドリード論戦は、前述のフアナの息子カール5世がラス・カサスの訴えを聞き入れたことに端を発するもので、カール5世が信頼を置くセプルベダとの議論の場が設けられた。この論戦においてセプルベダは「先住民は野蛮で良識がなく、キリスト教信仰による矯正が必要。また、先進的なヨーロッパ世界の物資や技術を持ち込むことで彼らの生活を豊かにしている」旨を植民地支配の良い点として挙げた。これに対しラス・カサスは、「自身も何度もインディアスに足を運び、彼らがスペイン人来訪前も独自の文明・生活や自治体制を築いており、介入は不要だった。またキリスト教が彼等にとって良いものとは限らず押し付けてよい理由はない。加えて金銀といった彼等の土地のものを奪うことは略奪行為に他ならない」と反駁した。両者は聖書の言及・解釈にも何度も及び、議論は白熱した。ただ、この論戦もエンコミエンダ制廃止等の目立った成果には繋がらず、ラス・カサスは志半ばでこの世を去った。
非道を地で行く当時のスペイン植民地支配時代にあって、異を唱えたドミニコ会の存在を知れ、うれしく思う。独裁政権第二共和政のこともそうだが、この国は良い歴史もあれば目を背けたくなるような時代もある。そんな部分もあっての今のスペインなのだろう。

 

④ミゲル・セルバンテスの物語

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ミゲル・セルバンテスが齢60近い時に巻き込まれたある殺人事件のことが綴られている。彼は元々トレドやマドリードに住んでいたが、バジャドリードの家賃の安い共同住宅を見つけて越してきたようだ。そこで事件に巻き込まれた。彼の住居の周辺で殺人事件が起き、何故か供述のかみ合わない彼の親族達のせいもあってか、容疑は中々晴れなかったようだ。ただただ、当時のスペインの治安の悪さが頭に残った。殺人は路上でアラゴン国王が仕える騎士が路上で何者かに刺殺されたというもので、捜査は打ち切られたとのことだが、騎士が誰かの交際者か妻に手を出したことを発端とする痴情のもつれとの見解が有力だったようだ。あとはミゲル・セルバンテスが裕福ではなかったことが強調されており、事件の捜査側が、彼の家に給仕の者がいたことは驚くべきことだったと記録を残していたのはあまりに失礼だと思ったw後にめちゃくちゃ売れたのになあ。

 

ゴヤの物語

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晩年、病と闘いながら作品を創り続けるゴヤの様子が描かれていた。他にも悲惨な病状は数々あったようだが、聴力を失っていたことが強調されていた。聞こえない他、謎の耳鳴りにうなされていたようだ。病は画風にも大きな影響を及ぼし、暗くまた風刺的な絵が増えていった。この章では絵画のことばかりでなく、宮廷画家として政情に振り回されたり、恐怖の異端尋問につけ狙われたりと、時のNo.1画家とは言え、病以外にも様々なものに影響されいていることが綴られ、芸術家が比較的作風を限定されることはないだろう現代と比べると生きづらいであろう世情が窺える。裸のマハが、宰相ゴドイの愛人がモデルと言われていることは知らなかったし、ゴドイの人間臭さと宮廷画家にこっそりそんなことを頼むのも阿呆ですね。。。1808年 5月3日 マドリード プリンシペ・ピオの丘での銃殺は、異端尋問などスペイン国内で度々酷い目に遭いながらも、彼がスペインのことを思う心が感じられた。ボルドーで生涯を終えた彼は晩年まで絵を描き続けたが、彼の生涯にはアラゴン生まれの男としての根気と気持ちの強さが表れていると綴られていた。

アントニオ・ガウディの物語

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 晩年の彼が日々のルーティンの通り、バルセロナ市街地の通りを歩き、仕事終わりに教会へ向かう様子が描かれることからこの章が始まる。年老いて身だしなみに全く気を遣わなくなり、身体も衰え息絶え絶えの様子で歩を進める彼の姿は浮浪者にこそ見えても、決して偉大な建築家には見えなかったという。若い時は服装もばっちり整えていたようなのだが、いつからかそのような風体になってしまったようだ。巨匠となって後は周囲にすすんで気に入られる必要がなくなったのかもしれないし、自由度が増した結果なのかもしれない。ガウディの建築家としての能力は疑う余地がないものだったようだが、割と偏屈で人物としては万民受けするタイプではなかったとのこと。根っからのカタルーニャ人で基本誰にもカタルーニャ語で話す上、彼の建築を理解できない者とはまともに口を聞こうとしなかったようだ。
さらに驚いたことには、サグラダファミリアの建築担当者は当初は他におり、その者が条件面で雇い主等周囲と折り合いがつかなくなったことでチャンスが巡ってきたようだ。サグラダファミリアは未完成なことで知られているが、彼が亡くなる前に計画的にあとを後任に譲ったわけではなく、市電に撥ねられたことで事故死したことが綴られている。当時の市電は信号機もなく、子供を殺す鉄の筐体として恐れられていたようだ。これまで知らなかった偉大な建築家の最期は信じ難く、驚かざるを得なかった。高額な給金を得てもサグラダファミリアにつぎ込み、身体を悪くしてもタクシー(馬車?)すら使うことがなかったところにも彼という人間の様が想像できた。

 

*感想*

どの章もかなり裏話的な内容で、スペイン史を学んでいない自分には目新しい内容ばかりでした。歴史に名を残した人物の光の当たらない部分をしっかり描いている。また、特に④~⑥章では、各人が生きた当時のスペイン各地の様子が窺い知れることから、角度を変えて、かつてのスペイン国内の様子を知りたい方にはおすすめの一冊です。